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平成の思い出と令和の準備。

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ありがとうございます(^o^)

 

昨日は昭和の日、本日は平成最後の日(平成大晦日?)で、

明日は令和元日です(^o^)

 

私もこのところ公私忙しく、昨日は平成最後の「おはよう寺ちゃん」出演を終え、今日と明日はのんびりとしております。

 

 

それにしても、もう平成が終わるって、30年も過ぎたのか?

平成を迎えたのも、ついこの間のことのように感じられますね。

 

 

当時、私は20歳の下っ端巡査で、昭和の時代は先帝陛下の崩御で突然終了。

 

(↑交番にいた当時撮ってもらった写真。制服は古いタイプです)

 

終生在位の原則が変わった今回は、譲位ではなく「退位」という言葉が公式に使われているのは誠にがっかりではありますが、30年前の昭和は崩御の悲しみのうちに終わりました。

 

この時は署から特機(特別招集される機動隊)として警備参加し、一ヶ月半後の2月24日、先帝陛下崩御のお見送りのときにも、今日と同じく雨が降っていました。

 

 

私はその翌年には機動隊に入隊、半年後には元気の良さを買われて中隊長伝令、さらに内勤警備係に入りました。

 

当時は「着隊1年で内勤入りだなんて異例の出世だぞ」とか言われましたが、どこに異動しても一番若かったので、その上の先輩との開きも大きく、体育会系の警察組織ではそれなりに大変でしたよ(^_^;)

 

 

即位の礼の時には第五機動隊の拠点であった北の丸警備指揮所で、隊長席の隣のデスクで警備無線を聞きながら、警備が計画どおり進行していることを確認していました。

 

 

昼ころだと思うのですが、ちょうどこの時、同時多発爆弾テロが発生。

(これは報道されていません)

 

皇居周辺やその他のエリア各ポイントに配置された中隊員や他の隊の無線から、「爆発音が聞こえた」という複数の報告が集中して上がってきたのです。

 

もう30年も前の話なので忘れたところもありますが、それらは一箇所の音を複数の隊員が聞いていたのではなく、皇居を中心に都内各所で発生したようで、爆発発生地点を数えたところ、確か10ヶ所前後からの報告であったことを覚えています。

 

「なんかえれえことになってんな、おい!」

 

なんて先輩と話し、当時は隊に3台くらいしか配布されていなかった、バカでかい金属探知機を背負って、北の丸公園付近の検索に行きましたよ。

 

その日ではありませんが、ちょうどその頃の写真です。

 

(↑後ろにポリタンクみたいなでかい箱が付く金探を持っているのが、その頃の私です。

 重たいので先輩方は持ちたがりません:笑)

 

(「あ、先輩。そこらへんでピーとか鳴ってますんで、お願いしゃっす」

 「え? まじかよ?」なんて言いながら先輩にヤバそうなのを掘らせてる私)

 

 

幸いにして、この時の爆発は、当時お堀の周辺にあった公衆便所など人気のないところが中心で、この時の爆発では死傷者はなかったと記憶しています。

 

おそらく警備が厳重で、面が割れている活動家は皇居周辺に接近することができず、まだ警察公安に把握されていない、活動経験の浅い新入りを使って爆弾を仕掛けようとしたのでしょう。

 

爆弾を持たされた若い活動家は腰が引けて、なるべく死傷者がでないところに爆弾を置いて帰ってきたのかもしれません。

 

 

しかし、この崩御から即位の礼、大嘗祭、立太子の礼と続く一連の大警備期間中には、テロゲリラによる多数の死傷者がでたのです。

 

 

【平成3年 警察白書 第7章 公安の維持】

https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030700.html

>極左暴力集団は、昭和50年以降最多の143件のテロ、ゲリラ事件を引き起こし、その攻撃対象も無差別化の傾向を強め、一般市民を含め死者3人、負傷者17人を出すなどの重大な被害を生じさせた。また、「秋田県護国神社放火事件」をはじめ、神社に対する放火事件を15都県で25件も引き起こしたほか、JR等の鉄道施設についても40件の事件を引き起こし、市民生活に大きな影響を及ぼした。

 

 

また、64年ぶりの御代替わりであったため、警察組織としては警視総監はじめ誰もが未経験の大警備となったことから、多数の警察官が過労死で殉職。

 

 

機動隊員だけでなく、特別機動隊や方面機動隊(機動隊の後方遊撃部隊として臨時に交番などから招集される中年部隊)、警視庁以外にも各自治体警察から応援派遣されてくる県機動隊などが参加し、さらにその後方では応援派遣の穴を埋めるため勤務負担が増大、交番でも無理がたたって警察官が過労死したりしてましたよ。

一切報道されませんでしたけどね。

 

※ 追記

大喪の礼だけで、過労死した警察官は9人と聞いています。

当時「10人死んだら警備体制を変えるらしい」との話が出ていたのですが、警備体制は変わらなかったので9人で止まったのだと思います。

 

 

・・・実は私もやばかったんですよ。

 

警備係の最末席として迎えた即位の礼では3ヶ月の間、2日に一度しか寝ない日が続き、勤務中に眠ってはいけない!と気合で目を開けて仕事をしていると、目を開けたまま眠っているので、現実の景色に夢が重なって幻覚?が見えるんです(笑)

 

しかも夢のレベルに入っているので、重なって見えていることに異常を感じない(^_^;)

 

 

そんなスレスレの状態で即位の礼とその翌年(平成3年)の皇太子殿下(令和では天皇陛下)の立太子の礼警備をクリアしたのですが、さらにその翌年(平成4年)の皇太子殿下ご成婚警備でも一番若くて後輩ができず(というか後から入ってきたのが中隊の大先輩だったので)下積み続きだったため、ご成婚パレード二日前に肺炎で呼吸困難に陥りぶっ倒れ、機動隊の寮内娯楽室に隔離(笑)


すぐ近くの四谷三丁目交差点を、殿下と妃殿下がお通りになられたのを、布団の中からテレビで見て、悔しい思いをしたことを覚えています(T_T)

 

 

仕事はそれなりに楽しかったのですが、

この時「事務仕事は俺に向かねえな」と思いました(^_^;)

 

(で、ここから通訳捜査官を目指したのです)

 

さて、今回の大警備で指揮を執るのは、そんな30年前に同じく下っ端として一番苦労した当時の巡査部長・巡査クラス。

 

当時、組織内では分隊長・隊員だった年代が、今は警察上層幹部になっているので、その体験から過労死の殉職者が出るような無理な勤務にはならないと思いますが、当時なかったドローンやネットを使った情報戦にも対応しながらの大警備です。

 

まずはこの警備期間中のテロゲリラ防圧、特に御即位後初の一般参賀となる5月4日の警備には、警察だけでなく官民一体で、皇室や日本の失敗を喜ぶ勢力のテロ活動を事前把握・防圧検挙したいところですね。

 

御即位一般参賀要領

http://www.kunaicho.go.jp/event/sanga/sanga03.html

 

 

ところが我が国の隣には、世界にも有名な独裁軍事大国や、テロ国家、つぶれかけの反日国家があり、それでいてスパイ防止法もなく、国内でも破防法の適用事例なし、過激派が地方議員になったりもしています。

 

 

「私が中核派だと知らなかった杉並区民もいたと思う」

 今も暴力革命を肯定?話題の新人区議・洞口朋子氏に迫る

https://abematimes.com/posts/7001421

 

 

どうぞ近所で不審な人物や不審物、

また不審ではなくても特定の集団の動きなどがありましたら、

お近くの交番か警察署に通報連絡をお願いします。

 

30年前には無差別爆弾テロも発生しているのです。

新宿署の独身寮には爆弾が仕掛けられ、警察官も殺されました。

(一般人も巻き添えで怪我をしています)

 

 

自身や大切な人が犠牲者にならないためにも、

官民一体の警備で反日テロ組織を暴圧・検挙・殲滅し、

新しい令和の世を迎えましょう

 

ありがとう! さらば平成(^o^)/

では、令和時代にお会いしましょう。

 

 

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JUGEMテーマ:歴史

author:坂東忠信, category:坂東の想いなど, 17:53
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