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治にあって乱を忘れず。五月飾りの物語

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連休いかがお過ごしですか?

明日はこどもの日で、本来なら五月人形を出すところですが、・・・

 

 

・・・我が家は年中この状態です。床の間があるといいんですけどね(^_^;)

 

 

さて、米朝も緊張が続いておりますが、GWも治にあって乱を忘れず、ということで、もちろん甲冑のお話をお伝えしましょう。

 

五月飾りのような小さい甲冑は、一番古いものは、聖徳太子のオモチャだったと伝えられているこれですが(これはそっくり同じように作った模造品です)

 

「伝聖徳太子玩具大鎧雛形」(復元)

 

 

現存する子供用の着用甲冑は、古くは豊臣秀吉の特注品が伝えられています。

(豊臣鶴松童具足 京都 妙心寺)

 

武家は家をついで、立派に武士らしい働きで一人前になって欲しい、という願いを込めて作った、こうした幼児用のものだけでなく、初陣(人と情況によっては14歳前後くらいから)用の青少年用のこぶりな甲冑もありますが、

 

(上杉家伝来 白糸威紅日の丸紋柄威童具足(しろいとおどしべにひのまるもんがらおどしわらべぐそく))

 

こういうのを準備できたのは大名級で、今も保存されているのはそれなりに手間とお金をかけたものだからです。

 

 

中級以下の武士階級の初陣は、ありあわせだったと思われますし、農民となると、父親が過去の従軍で持ってきた兜など、一部しか着用できずに初陣したそうです。

 

 

一般的には「戦国時代」と呼ばれイメージされる、室町末期〜江戸初期頃までは、甲冑はまさに実用品で、高価であったことから、父の形見分けとか殿様から貰ったモノを組み合わせたりして大切に使っていたようですよ。

 

 

そのため、全部同じ時代に作られたワンセットものというのは大名クラスくらいなもの。

 

 

多くは兜鉢が古いものに新しい部品をつけたり、胴が古いけど籠手は新しいなどのチグハグな組み合わせで使われていましたので、大河ドラマみたいにきれいに揃っている軍団というのはなかったでしょう。

 

 

むしろいくさとなれば、地元農民の足軽や、「いくさ買い」と呼ばれる、ゴロツキを含めた傭兵も集められていましたので、もっと古びて汚くてけばけばしい戦闘集団だったと思われます。

 

ノリとイメージは、こっちが近いかも↓(笑)

 

(北斗の拳・新聞広告より)

 

 

さて、甲冑の飾りかたというと、昔からこんな感じかと思う方が多いのですが

 

 

・・・普通はこんなふうには飾っていなかったのだそうです。

 

 

何故かと言うと、いざ急いで着用するとなったとき、骨組みから取り外すのも面倒ですし、甲冑を着用する順番に外すことが出来ないため、普段はすぐに着用できるように、枕元にグチャッとおいていたのだそうですよ。

 

「法然上人行状絵図」の漆間邸の絵では、夫婦の寝室の枕元に、鎧がまとめておいてあります。

 

ちょっと見えにくいですが↓(^_^;)

 

 

まあ、昔で言うなら武士の生活必需品で、家電みたいな位置づけだったのでしょう。

 

 

宝モノのように飾っておくだけのものとは違う実用品でもありますが、そのお値段は当時それぞれの武士が相応の領地を手に入れたのと同じくらい高価だったことから、背広のように「一着二着」と数えるのではなく、「一領、二領」と数えたのだそうです。

 

 

そんな戦乱の世も島原の乱(1615年)で終わり、その後も武家は甲冑を大切にしていたのですが、戦争がないと、今で言うボーナス的な恩賞が無いため、だんだん武士も生活が苦しくなってきます。

 

そこでとうとう下級武士から、甲冑を売りに出して、生活の足しにし始めました。

 

 

と同時に、使わなくなった甲冑は、先祖の功績を示すステイタスとなってきたのですが、中には「俺のご先祖は昔はすごかったらしい」という自慢のネタに、安く手に入れた甲冑を先祖の由来をけて飾ったりもしていたそうです。

 

そして甲冑のない武家も、「貧しくても子供が立派な武士であるように」との願いから、江戸中期〜末期辺りから、ミニチュア甲冑が生まれたのだそうです。

 

(ヤフオクより)

 

ちょうど甲冑師たちもごく一部を除いて、仕事がなくなって、火箸や風鈴を作ったり、自在置物というエビや龍などの間接可動式の高価なオモチャを作ったりしていましたから、ミニチュア甲冑も作っていたのかも。

 

 

一方、大名家の中でも裕福な家は、実戦期の実用第一で飾りのない甲冑より、豪華で見栄えのいいものを置いて家格を示したいということで、実用から離れた飾り金具満載の、鎌倉時代あたりをモチーフにした復刻甲冑を特注していますが、

 

・・・着て歩くには重すぎますし、鉄砲に対応していませんので完全に人型工芸オブジェです。

 

で、幕末から、最後の武士階級存続の戦いとなった西南の役まで戦乱となったのですが、この時、武士は武士らしく闘いたい! という理由で、一時甲冑ブームが再燃。

 

 

 

ところが、すでに実用的な甲冑はボロボロで、高価な甲冑は使い勝手が悪く、結局甲冑も西洋から取り入れた新型の鉄砲を前にしては役に立たない上に、メンツにこだわる武士階級も初めての戦だったりしたので、当然ながらここで武士と甲冑の時代は終わったのです。

 

 

でも、その心意気を受け継いだのが、五月飾り。

 

高給な武家の復刻甲冑を小さくしたものが人気でしたが、今もどんどん進化しています。

 

実物に近いのは丸武産業さんの稚児鎧。

 

http://yoroi.co.jp/category/products/kids/

 

 

 

先進性と豪華さを目指すなら、これか?

 

 

未来志向で息子に宇宙皇帝直属の地位を目指すならこれです。

 

 

と、まあやっぱり、

戦争反対だ世界平和だと騒いでる

レッドでレフトなばあちゃんたちも、

孫には五月飾り買っちゃうでしょ?(笑)

 

それでいいんです(^o^)

 

 

・・・で、一方、実用の甲冑として残ったのは、機動隊の装備でした。

 

戦国時代の組討(くみうち)のように、取っ組み合いも意識し、また火炎瓶や塩酸などの液体攻撃を防ぐため、掴まれやすい防具をワッペン(上着のことを機動隊では「ワッペン」と呼びます)の内側に着込むという、かつての甲冑のような命がけの工夫と進化があったのですが・・・

 

 

 

 

・・・日韓ワールドカップで、なんと韓国警察機動隊と共同装備仕様に(T_T)

 

 

警察社会の諸先輩方が学生運動警備のフィードバックで進化したはずのものとは違う、掴まれやすい装備になっているのです。

 

 

・・・大丈夫なのかよ?

OBとして心配です(T_T)

 

 

時代の移り変わりと平和ボケの繰り返しで、甲冑は変化していきますが、いくさがあれば勝って帰ってきて欲しい、手柄を立てて欲しい、という子供にかける親の願いは、変わらず伝えられています。

 

 

というわけで、今日はこれからチャンネル桜収録に、戦いに行ってまいります(^o^)

 

みなさんどうぞよいGWをお過ごし下さい!

 

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author:坂東忠信, category:坂東の趣味, 08:39
comments(3), -, - -
Comment
いつも貴重な情報や視点のご教示ありがとうございます。
以前にくららでやっていた甲冑の話について。
合戦の時に大鎧であい対し、各陣営から代表が進み出て一騎討ち…こんな場面があったのはいつなんでしょうか?
将門の乱以前から?(将門記にはそれらしき場面ありませんね)それとも源氏の奥州征伐?或いは源平合戦からでしょうか?
元寇で一騎討ちに向かって…なんていう書物を読むと、日本の歴史書ではむしろ一騎討ちを見ることが少ないような印象で不思議に思っていました。
私の認識不足かと思いますが、ご教授の程をお願い申し上げます。
dantess, 2017/05/22 12:05 PM
dantessさん、ありがとうございます。

古い時代の兜の吹返(ふきかえし。兜の耳に有る折り曲げた部分)が顔面よりも明らかに前にあるのは、視界確保で顔面を出していても、一騎討ちで、擦れ違いざまにうける横からの斬撃から顔を守るためであると考えられます。

となると甲冑の時代区分で言うと、前にめくれていたのは鎌倉前期くらいまでで、南北朝時代では完全に肩の上に寝ています。

ただ、この頃でもまだ吹き返しが大きく肩先まで来てからめくれて寝ているので、一騎討ちはたまにあったのかもしれません。

室町期には寝ていた吹返がまた起きてきますが、頸部を守るしころ自体が、かなり小型化していて、吹返も回りに存在を誇示することを目的としたような形になっています。

室町末期には吹返が小型化され、織豊時代にはほとんど消えていますので、一騎討ちが全くなくなったとはいいませんが、鉄砲や改善の末に飛距離を伸ばした弓など遠距離から始まる集団戦が中心になっていたと考えられますね。

となると、両軍の射程距離内において、昔のように戦の前の代表戦のような一騎討ちはもうなかったはず。

白兵戦の中で出会う有名武将どうしで、まれに一騎討ちしたかもしれませんが、他の兵士が戦を中断して見守っていたとも考えられず、単なる馬上タイマン勝負みたいなものになっていたのでしょう。
坂東忠信, 2017/05/24 2:21 PM
ご返事ありがとうございます。
吹き返しの変遷からの推理、とても納得させられました。
吹き返しの兜は一騎討ちするような名のある武将の証でもあるのですね。そう考えると戦闘形態が変わるまで目立つ形になっていったのも、なるほどと頷かされます。
ありがとうございましたm(__)m
dantess, 2017/05/27 10:12 AM